教会は十字架の愛で十分だ

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キリストの中で完全な教会(11)

キリスト教が語る福音をぎゅっと組めば十字架の驚くべき愛が中心にある。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマの信徒への手紙5:8)天地がひっくり返っても変えられないのは神様の変わらない愛だ。

ゴメルのように淫らな娼婦になって主の胸に釘を刺して去っていったその時、神様は私たちのための愛を決めた。私たちの反逆で主を裸にして蔑視して殺したその時、主は御自分の息子を代わりに殺して私たちを救われた。それよりも愛の確証と美しさがどこにあるだろうか?

これがキリスト教の愛だ。荒れた十字架の福音は歴史と存在を全部動員しても表現が不可能だ。神様を一生黙想しながら目が腐るまで泣くほどとてつもないのが十字架福音だ。この福音がなぜ私たちを変えられないのか。福音に能力がないからではない。福音にまともにぶつかったなら何事もないはずがない。

死んだ信仰はありえない話だ。韓国教会、福音で新しくなれる。福音を生命として会えば必ず生まれ変わることが起きる。福音は人生を完全に献身させ、自分の主人と愛する対象を変える。そして真理に生きる人に変化させる。福音の能力は誰にでも差別なく臨む。

今は福音を福音らしく人生の中心に置き、全生命と存在をかけて福音の前に立ったあの日のように日々を生きていかなければならない。今がただキリストの生命で愛する最後の日であるかのように生きることが永遠に生きる秘密だ。永生を享受しながら今日この瞬間を生きるのだ。一番幸せでなければならない日は今日だ。主のみ前に最も最高のものを差し上げる日は、他のどんな日ではなく、今でなければならない。

最後の日のように愛しなさい

教会が新しくなる道は遠くない。すでに私たちにくださったこの福音で十分だ。教会の変化と天地開闢より難しい自分の中心を変える能力と知恵は十字架福音しかない。他のことにしきりに焦点を曇らせたり、避けずに、正直に正面からぶつかって十字架復活の福音が自分に実際になるよう神様と向き合わなければならない。主の死が自分の死になるまで福音に直面して、すでにできているなら、この濃度以下で自分を捕らえるいかなることも容認してはならない。イエスと共に死に、今は自分の中のキリストのために生きる人生が今日が最後であるように、信仰から信仰へと生きていくこの奇跡と栄光を主が私たちに与えてくださるのだ。 (2018年7月) <終わり> [福音祈祷新聞]

キム·ヨンの宣教師 (巡回宣教師。LOGミッション代表)

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