世界への神様の唯一の贈り物、福音

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キリストの中で完全な教会(3)

私たちは罪の中で生きていて、毎日罪に引きずり回される。 そして結局、罪の奴隷で地獄の審判に向かわざるを得ない存在的罪人だ。 私たちがどうやって主が呼んだ聖なる神の息子の形を着てキリストの中に充満した生命を持つ聖なる神の教会になれるのか! 出発自体が基盤もイエス·キリストであり、目標である使命も神様の水準であるため、人間のいかなる努力や方法でもなれないと聖書は言う。 ”武力によらず、權力によらず、ただわが 霊によってと万軍の主は言われる”(ゼカリヤ4:6)

最も不可能なことがあるとしたら、それは自分の人生を自分勝手にはできないということだ。ルカ福音書18章に出てくる金持ちの官員は幼い頃から律法を破ったことがなく最善を尽くして暮らした。あれほど永遠の命を追求し、苦労して生きてきて、イエス様の前に出てきた時、永遠の命を得る道を教えてくださった。難しい要求でもない。二つの中から一つを選べばいい。お金か?永遠の命か?

永遠の命とは何か。神様の永遠の命の中で神様の永遠の祝福と生命を享受することだ。そんな永遠の命がお金と比較対象なのか!それでも目に見える誘惑に勝てず、永遠の命を目の前にしても捕まえられないまま、私たちの心がお金に対する愛着と情欲に引かれる。

宗教的な努力と最善を尽くしたとしても、自分の心を変わる決断ができなければ、38度休戦線を越えるより難しいのが自分の心の境界を越えることだ。福音をあんなに聞きながらも決断できなくて一生だらだらとぶら下がって結局滅亡に連れて行かれる人がどれほど多いか! 厳重に警戒を守って立っている休戦線よりさらに堅固に越えられないのがあれば、まさに自分の心だ。私たちは心で神様を離れ、敵になった。そんな私たちを振り返って神に向かわせること、それがまさに十字架福音だ。人間の救いと変化は絶対に人から生まれることはできない。これは神の全面的な能力と恩恵でなければ不可能なのだ。

神様の召しを忘れてしまえば、教会は現実に追われて召された席を離れ妥協し変質するしかない。そのために、教会の基盤と目標を明確にすることは、私たちが生命を得ることと同じくらい重要だ。教会は人によって行われるものではない。神様の神的な能力なしには完全に福音どおり救われ、地獄の人間が天国の人に変わる真の変化は一人にも起こり得ない。人間のいかなる努力や方法や制度になることはできない。神だけができることだ。

神様が私たちを本当にこの世を変化させる教会であり聖徒に変化させる福音の能力。この能力が我々に臨まなければならない。その時初めて教会は真の神様に召された場所に立つことができ、この世を変えることができる。そして世の中は彼らを変えられる能力を教会を通じて得ることになる。生きている神様がこの世に向かってくださった唯一の贈り物がまさに福音であり、その福音はすべての状況で十分に変化させる能力を持っている。 (2018年7月) <続き> [福音祈祷新聞]

キム·ヨンイ宣教師(巡回宣教師、 LOGミッション代表)

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