十字架の向こうに広げる無限大の栄光を覚えよう!

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復活

 ‘人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことを誰にも話してはならないと彼らに命じられた’(マルコの福音書 9:9)

山上で人が死ぬ前には見られない、一番の栄光の体験中の一つである変形事件を、世の人である弟子が見た。ベテロとヤコブとヨハネである。驚きのあまり、息がとまるほどだった。

ユダイで育てられた彼らの目の前に、モーセとエリヤとは!律法と先知者の最高である彼らが、イェス様に仕えるとは。ナザレの田舎っぽさとほこりが撒き上がる方が、まぶしい白い栄光の姿だとは。そこに加えて天から聞こえる神様のみ声。。‘これは私の愛する子であり、その言葉を聞きなさい!’

これ以上要求できない完璧な証言だった。モーセとエリヤの証拠、天のお父さんの証拠、変形されたイェス様の証拠。口が渇くほど証言したくなる場面であり、体験だっただろう!

しかしこれは地に属した栄光ではない、次元が違う天の栄光であり、人の中で優れた方ではない、確実に天に属したかたであった。何人かの人の確信とか言葉で証言できることではない能力で検証されないといけない、結果的に最後の宣布が成されたことだった。

世の基礎学問、人間水準の知性とか肉的次元の理解としては、決して受けることも、悟ることもできない。はっきりするのは聖書が言ってきて、イェス様自身が宣布したメシアは、この地で低級の人間水準の救い主ではなかった。神様の息子、万国の王、全能な神様、審判主、永遠なる方、贖い主、苦難と復活。。

罪と死の権勢の下で罪すなわちわたし、私すなわち罪人である存在的罪人の運命である病んでいる自我の落とし穴から死の勢力を破壊して、救うメシアである。そうすると彼は最後も検証を終えた、能力をもったものでないといけないし、真の終結者であり、永遠のチャンピオンでないといけない。強い者を縛らなくては、その家を奪うことはできないように(ルカの福音書11:20~22)

対敵の完全な最後の攻撃、これ以上仕えない最後の総力をつくして、かれが持つ世と権勢、暗闇を主管する能力の死の権勢で、完璧に全ての悪と知恵と勢力を使って執行した十字架の処刑!被造世界の中にだれが、何がこの死の権勢に立ち向かえる者がいるのか。だからイェス・キリストがおっしゃる。

 ‘義人が死人のうちからよみがえるのを見る時までは、見たのを誰にも言わないでください!’貴方が見た栄光を十字架の福音の能力を変えたり、広げたり、事業をおこさないでください。いつもその次の挑戦がある。これ以上は検証しきれない敵の最後の勢力、‘死’がある。

十字架の事件が演出される時、逃げたり、隠れたり、恐れないでください。口実をいって、いそがないでください。かえって喜びなさい。十字架の死。私の無能さが確証するとき、魂の歓声をあげよう。復活の命!それで反応しよう。すべての口をふさごう。死んで再び生きる命の真理!復活の命であり、私と連合したイェス。

ただ主が行ったことを信仰を持ち行いなさい。真理が結論になりなさい!彼がなさいます。終わりまで強くしてくださいます。決して捨てたり、離れたりしないです。(ピリピ人への手紙 1:6, コリント人への手紙 1:8, ヘブリ人への手紙 13:5-6).

見なさい!ついに復活しました!死の権勢を壊して十字架で勝利した真のメシアを!(マタイの福音書 28:5-6)

覚えているのか

復活の命で印した十字架の向こうに広げる無限大の栄光!恵みでイェス様の血の代価を払って得た安全なる祝福の措置ら。

復活の命で

新しい命。十字架の恵みでただで得た罪の許しが、決してあり得ない永遠の命、永遠の息子の命、揺れない身分であり、相続者の権勢を所有した不変の命。権能ある神様の約束ら。世を勝ち取るためにゆるされた信仰の人生、豊かな人生、実を結ぶ人生、勝利する人生、内的平安な人生、清い人生など。。。

安全な原理たち。福音を十分に喜べる神様の功労、神様のみ言葉の原理。その原理で安全で堂々と生きられる活発な真理の人生。完全な二つの秘密。教会の秘密と内住するキリストの連合の命、インマヌエル!

“あなたがたがキリスト・イェスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとなられたのである。(コリント人への第一の手紙 1:30)

ハレルヤ!

疑いと恐れで魅惑の魂がそのおおいを目の前にかぶせるとき、いつでも

<十字架と復活の> 主へ帰るとそのおおいが取り除かれる(コリント人への第二の手紙 4:16-18)

<巡回宣教団 代表>
「その日が来るまで」から転載

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