永遠の勝利の福音、十字架のキリスト

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初めて福音が宣布される日

そこはエデン園の真ん中でした。エデンはいまだにその美しさと豊かさ、そのものでした。しかし罪を犯したアダムとイブにそこは、これ以上喜びの園ではありませんでした。

すべてがありましたが、何も楽しめない彼らには怖くて留まれない呪いの地になりました。神様はいまも善であり、永遠の創造の神様であり、変わらぬ愛でしたが、反逆した彼らには怖くて避けたくなる審判主であり、裁判長でありました。

豊かな喜びの園で、渇きと呪いの実存として堕落した人間!彼らに必要な福音は、もっとよい環境と条件ではなくて、罪の罠にかかった命を救える、罪とサタンの勢力から救える救い主の福音でした。十字架の福音でした。(創世記3:15).

最後の完成した福音が宣布される時

そこは騒ぐ世の真ん中でした。これ以上エデンの姿はなく、いばらの藪が覆う荒野のようでした。貧しさと絶望、抑圧と苦痛、暴力と無法が沢山あって、権力と宗教の華麗さと偽装した平安は豊かな者たちの貪欲の道具として転落して、羊飼いがない羊のようにさまよう惨めな魂たちは、何を求めてどんな福音が必要であるかさえ知らない罪人でした。

豊かな者も貧しいものも、肉に属した欲張りによって食物ではない物のために銀を支払って、この絶望的な運命を変える福音は決して人間からは出せない全能である神様の知恵と能力の水準でなければ解決できないことでした。創世前から予備されていた救いの秘密、本当の福音は私たちの罪悪を負って死んでくださったキリスト、‘十字架の道’の秘密の福音でした。(ベテロの第一の手紙2:24-25)

再び福音の前に

強い勢いで駆けてくる罪悪の波。元の顔を現した暗闇の主管者、正邪と権勢の世の新サタンの暴れ。世俗的な人本主義が傲慢な罪人の知性で武将して、神学の名によって世と教会の境界を滅びて、清さをあきらめて、武将解除されたキリスト教を誘惑して、神様のない礼拝、十字架のない神学、罪からの悔い改めとかイェス・キリストの十字架の血がない説教、罪が楽に感じられる教会、自己開発に没頭する霊性、個人主義、物質主義と妥協した成功、繁栄、お金に集中するからっぽの福音。。。

福音の本質的な概念(永遠、贖い、罪、救い、義、自由、清さ、審判、犠牲。。。)には関心も重さもおかない時代。この混沌と暗闇の中で、福音のために呼ばれた私たちさえも、この福音が実存になってない自分の絶望のために深い暗闇のトンネルを通過しないといけなかったです。

そして知るようになりました。神様がくださった福音が、私一人も変えない無気力な福音、理論だけの書類保管用福音、時代に遅れた福音、罪悪感のごみ処理場用の福音にはなれません。代わりに私たちを変える福音、地獄の権勢を滅びて、罪とサタンの勢力から救って、自我の酷い牢から解放してくださって、この世に勝つ勝利の福音であることが事実です。

いままでこの世の流れに流されて私たちが無視した福音、急ぎ病の現代の罪人たちの欲求に追い出せれていた十字架の福音を、また新しい福音ではない永遠の福音の十字架のキリスト!ただ十字架!もっと十字架!十字架の福音であれば十分です。

<巡回宣教団 代表>
「その日が来るまで」から転載

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