“国々を胸に抱いてお祈りを始めた以降、人生の変化を経験しています”

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コーナー人生の現場でお祈りの渇きを解消しているチョ・ヒョンオク執事(国際宣教教会)

十字架の福音が私たちに与えられたお祈りの力を知るようになるならば、私たちの生活にどのような変化が起きるだろうか? 母のお腹にいる時から信仰を持っていたが、結婚以後にイエス様を受け入れ、熱心と情熱で始めたお祈り生活、しかし‘実’を結ぶことができないお祈りの‘さまよい’を経験して、ようやく‘神様が願うお祈り’を始めることになった人. お祈り24365をきっかけに個人のお祈りの場を越えて連合したお祈りに進むようにしてくださった神様の恵みを告白するチョ・ヒョンオク執事に会った。

– 執事がイエス様を信じることになった信頼の歩みについて伺いたいです。

“私が中学校1学年時の冬休みでした。 田舎教会長老であったお父さんが偶然ある牧師先生を招待し、私の家広間で一週間復興会時間を持ったことがありました。その時すべての家族がイエス様を受け入れる出来事が起きました。 ところが私はその時その神様を信じられませんでした”

 -家族の皆さんが信じるぐらいなら、特別な理由がありましたか?

“牧師先生のお言葉の通りならその福音はとても容易なのです。 ‘そのように信じることだけすればよい福音を誰も信じられないか?’そのような心でした。 私は神様が直接私の名前を呼びながら“私があなたを救った”とおっしゃられる前までは信じられないと思いました。

そうするうちに結局教会に行かなくなりました。 教会に掛けてある十字架が見たくなかったからです。私の心から犯す罪もすべて見ておられる神様が恐ろしかったです。聖書も布団の中に隠して置きました。 とても辛く飢え渇いた時間でした。結局信仰のない人と結婚をしました。神様が嫌でした。私に会ってくださらないと思ったからです。”

家族復興会で家族の皆さんがイエス様を受け入れましたが…

– では、イエス様を受け入れたきっかけは何ですか?

“腰の怪我をしたことがあります。呼吸混乱で苦しめられた時、“神様、信じます!私が間違いました。このまま死ぬと地獄に行くのにどうか助けてください!”と叫びました。それからある開拓教会に出席するようになりました。その教会の牧師先生を通して救いについて相談する時にイエス様を受け入れました。 ”

– その部分が知りたいですね。多くの方々が神様から与えられた奇跡を経験すようになったのですね。

“牧師先生は十字架を3つ描きながら‘これが何か分かりますか?’と聞かれました。私は‘知っています。全部知っています。’と言いながら説明を始めました。しかし‘私を覚えてください’とイエス様にお願いをしたある泥棒についてお話をしていると、その泥棒の立場が自分の立場であることを悟りながら私の心が変わるようになりました。そして今まで待っていたその答え、‘あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた’という答えを聞かされました。全身に鎖が解けるような感じがし、その場でひざまずきイエス様を受け入れました”

– イエス様を受け入れた後の人生はどうなりましたか?

“福音を知らなく、福音について誤解のまま過ごして来た幼年時代でしたが、その時通っていた教会学校の思いが切なくて教会学校の先生で一人の魂にこの福音を伝えようと決心し、ある子どもの宣教団体で10年間訓練を受けました。そして子供の使役に励みました。子供のみならず、お母さんたちも改心し、リバイバルが起きる働きを経験しました。”

 “しかし、御言葉通りにならない領域が依然としてあって、いつも倒れて克服できない自分の弱さに引っ張られました。悔い改めと断食では解決できないもどかしさと渇きが訪れました。”

 “その時‘聖霊に満たされれば福音の人生を生きることができる’という気がしました。私が幼かったころ、復興集会の際に聖霊様の賜物が現れたことを見た覚えがあります。そうしながらあらゆる聖霊集会を探し回りました。‘聖霊の賜物が現れると聖霊の実を結ぶことができる’と漠然な思いがあったからです。聖霊に関する書籍を読み始め、不思議な霊的現象を体験しながら癒しと聖霊の恵みに深く入って行きました。 ”

– 渇きを解消した根本的な変化はありましたか?

“主に癒しのお祈りと異言祈りをしました。その祈りを通して一時的に安らぎを得、御言葉の恵みを体験し、視力が回復したり痛みのあったところに癒しの働きが起きました。しかし私が本当に願う人生の根本的な変化はありませんでした。今思うと、聖霊充満という素直な心もありましたが、私の貪欲と欲張りが混ざっていることを否認することはできませんでした。それからお祈りの生活に問題があることに気づきましたが、何が問題かは分かりませんでした。”

聖霊の賜物と体験が人生の根本を変えることは難しい

– お祈りの生活が変わったきっかけがあると思いますが。

“偶然始めた執り成し祈り楽校を通して福音でなければ神様が望むお祈りをすることは不可能であることを学びました。そしてお祈り24365について講義を聞いた時には興奮の状態でした。‘これこそ私が願ってたお祈りだ!’という確信が押し寄せました。お祈り24365新規お祈りの対象のために一日学校に直ちに参加しながらお祈り24365が始まりました。

 “私ではなく神様の国と義を求めるお祈りは、お祈り24.365を通して初めて経験することでした。本当に神様の御胸に相応しいお祈りをする機会が与えられたことに感激でした。あまりにも嬉しく踊りながらお祈りをしました。本当に恵みでした。”

– お祈り24.365お祈りの時間を通してどんな恵みを味わったかお聞きしたいです。

“率直に容易ではない時間も沢山ありました。 6ヶ月が過ぎるにつれて興奮と情熱もいつのまにか消えてなじむということと安易さに陥りました。お祈りに集中できずうつ伏せになっているばかりである時間もありました。 そのようにお祈りをやり遂げなければならない私自身との激しくて喧嘩をしながら悟ったことは、神様は私のお祈りの行いではなく、私自身を捧げることを望んでおられました。

このお祈り時間を通じて教会として私が回復することを望んでおられ、すべての共同体と宇宙的教会が回復することをお望みの父なる神様の心を見ることになったことが最も大きい恵みです。コリント人への第一の手紙1章20節の御言葉が実際に信じられた以後にはキリスト中ですでに成就した神様の約束をすべての教会に信仰で宣言して、それなら充分だという告白をしながら祈っています。”

– 共同体生活を通じてさらに深い恵みを授かっているというお話を伺っています。

“はい。 大学生の子供がいる私ども家庭と小学生の子供がいるある執事ご家庭が一戸で一緒に暮らしながら御言葉とお祈り中心の生活をはじめてからもう14ヶ月になりました。 ‘神様の約束(Promise)の管(Pipe)になろう’という意味で‘P共同体’と名付けました。 個人的には毎日一緒に集まって御言葉で連合したお祈りを捧げることができる共同体をしたい渇望がありましたが、このことのために祈ってから一ヶ月ぶりに神様が急に導いて下さって共同体が始まりました。

共同体生活をしながらはじめて私は自分自身の本当の姿を見ることが出来ました。 良い面正しいところだけ見せようととても努めたようです。恥ずかしい話だが、体に力を入れてから血圧が危険な状況まで上がったりもしました(笑い)。共同体も私の熱心と力で上手に出来るという‘自分の義’を表わされたことでしょう。”

– すべての生活領域を共に共有していますか?

“共同体内にそれぞれの領域を分けて、互いに分担しています。 生活担当、財政担当、台所担当このように三種類に分けて、一月ずつ一つの職任を引き受けて仕える形態です。生活担当は共同体の環境、物品と家族のすべての大小事を知らせて共有する役割をして、財政担当は食費と管理費など、財政に関連した役割を担当し、台所担当は言葉どおりシェフの役割をしながら二つの家庭がすべての領域を共にしています。”

共同体人生の経験を通じて‘孤独な老人たち’のために祈っています。

– 共同体生活に対する話をもう少し聞きたいのですが。

“共同体生活を通じて実際にぶつけ合いながら本当に沢山のことを学んでいます。 私がどれくらい愛することができない者なのか、自身の基準に縛られている領域が如何に多いかなど、はじめて知るようになりました。しかしそのような絶望的な時間を通じて完全な自分否認をするようになり、自らは聖霊の実を結ぶことができないことを確実に悟りました。 その時始めて信頼で味わう平安について知るようになりました。実を結ぼうと絶え間なく努力した私は傲慢な者だったのです。

 共同体の集いとお祈り時間を通じて真理を互いに語り合い、御言葉の前に悔い改める人生を分かち合うことが続きながら神様が私どもの心を自然に開いてくださいました。今は本当に家族共同体だと言えます。 本当に一つであることを感じます。”

– これから計画やお祈り課題を分けてください。

“最近御言葉お祈りを一緒にしながらネヘミヤ記52お祈りと巡回企画お祈りチームを通じて共同体内外でお祈りの連合を成し遂げる席に積極的に進む心を与えられました。そして私どもの共同体が万民のために祈る家で立てられればという希望を抱くことになりました。

そして今は全能な神様が私と連合したという福音の真理が深く感じることができてこの上なく嬉しい限りです。どこが行って叫びたい気持ちです。福音を伝えたい心、魂に向かって進みたい心が溢れます。 事実共同体を始めながら孤独な老人たちに向かった心がありました。 それでも私が先んじることができないのだから、‘いつ’、‘どのように’ということについては神様がご存知でしょう。それがお祈り課題です。”

J.S

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