[TGCコラム]信頼されないリーダーシップは崩壊する

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“もし私に従う人々が私の人格を疑ったら、私がどんな力量を持ったかはもう重要ではない。”

一つの材料が欠けると料理全体が駄目になることがある。 あるものは本当になくてはならない場合がある。他人を導く時、信頼されていなければそれは不可能だ。信頼こそリーダーシップの核心である。他人を導く役として呼ばれたとしたら、それはあなたへの信頼をきちんと管理せよと呼ばれたのと同じだ。学生は先生を信じたがっている。もし夫婦ならお互いに信頼することを願う。聖徒は担任牧師を信頼しなければならず、従業員は彼らの管理者を信じたがる。

信頼を失われた時、従う者は消える。

私もリーダーとして一緒に働く人々が私の力量を信頼してほしい。彼らが私の判断力を信じることを願い、またやってくる挑戦と機会をよく予測して私たちの組織を成功的に導く革新的な力量を持ったリーダーとして私を信頼してほしいのだ。私は妻と子供たちからもそのような信頼を受けたい。そして私はこの文を読むあなたも同じ考えだと思う。

しかし、このようなリーダーシップの力量は人格に対する信頼に亀裂が生じた瞬間、一瞬にして完全に崩れる恐れがある。もし私についてくる人たちが私の人格について疑うようになったら、私がどんな力量を持っているかはもう重要ではなくなる。

ではどうすれば信頼を築き、また強化することができるのか。 4つの実質的な方法がある。

1。真実を言え

いつもそうしなければならない。キリスト人のリーダーシップなら、真実を語るのは当然だと思うかもしれない。しかし、人間なら誰でも例外なく、どんなに簡単に、見えないように、徐々に、偽りの沼に陥ることができるのか、またあらゆる方法を使ってでも真実を隠そうとするのかについて私たちは知っている。

当然、誰かの目を真っ直ぐに見つめながら嘘をついたりはしない。(これは霊的に非常に恐ろしい状況かもしれない)しかし、半分だけ真実を話しながら、ある事実について誤解の余地を残しておくのはどうか。もし一緒に仕事をする人があなたのことをこのように話すとしたら?”あの人の言うことは10%くらい信じればいい。あなたも知ってるでしょう?あの人がどんなに大げさなんだろうか。”

家、職場、教会のどこにいようとも、あなたが導く人達は、いつもあなたが真実を語る人だと信じられなければならない。聖書全体にわたって現れた神様は、徹底的に信じられる存在である。神様はいつも真実だけを言うので、我々はその方を信じることができる。他の人があなたに対しても同じことが言えるのか?

2。‘ごめんなさい’と言え

あなたがリーダーなら‘ごめんなさい’という言葉に慣れなければならない。あなたはこの話を頻繁にするしかない。なぜなら、あなたは人々を失望させるに違いないからだ。あなたが判断ミスをすることもありうる。プランAが正しいと思ったのに間違えることがある。そして、その結果、人々を失望させて怒らせることもある。これとは異なるが、あなたが申し訳ないと言わなければならないもう一つの場合がある。あなたの判断は正しいけどそれを実行に移すために他人を苦しめなければならず、時には彼らのトラウマまで刺激しなければならない場合だ。

必ず大きい事で誰かを解雇したり、降格させるのではない。同僚に、または家族に、または教会の者に罪を犯したのなら、それは謝るべきだ。自分を弁護したり、正当化したい衝動に打ち勝たなければならない。あなたを批判する人たちが正しいとき、怒りをぶちまけたい衝動にかられてはならない。

もちろん、あるリーダーにとって“ごめんなさい”という言葉が一番辛い言葉だということを知っている。そんなこと自体を言わないリーダーに会ったことがあるでしょう。もしあなたがそのようなリーダーなら、警戒心を持たなければならない。その言葉を素早く、そして、謙遜に話す方法を学びなさい。そうする時、長期的にリーダーとしてあなたの精神に役立つだろう。

3。失敗を忘れずに成功を分けなさい。

もし何かが上手くいったら、みんな自分が上手くできたからだと言って、また何かが間違えた時は絶対に責任を負わないリーダーを見たことがあるか? なぜ売り上げが伸びたのか?もちろんリーダーのせいだ。なぜ売り上げが減ったのか?それは絶対にリーダーのせいではない。このようなリーダーは確かにマーケティング部署で見かけられる。私はこのタイプのリーダーは世間でだけ会えると言えればいいと思う。しかしそうではない。このような世間的なナルシシズムは、あまりにも簡単にキリスト教のリーダーとキリスト教団体を汚す。

上手く導くことは非難を避けないことを意味する。実際、あなたが重要なリーダーとしての役割を果たしているとすれば、たとえあなたの決定によって生じたことでないとしても、あなたの責任の下で問題が生じたとすれば、その結果に対してリーダーとしての責任を負わなければならない。リーダーがそうするとき、信頼が蓄積される。忠誠心は深まる。しかし、リーダーが責任を回避し、部下に後ろ指を指さす時、どれだけ早く社員が他の会社に履歴書を出すのかを見ることになるだろう。

この原則は家や教会でも同じだ。誰かを導く時,私たちは他人の代りに非難されるかもしれない。それは家でも同じだ。

4.責任感と独占欲の違いを学べ

これは微妙だが、非常に危険な違いだ。それを正しく理解できないと他人があなたを信頼するのに大きな障害となりかねない。

導くということはある目標、戦略、そして人などに関してあなたが一種の無限の責任を負うという意味だ。それはしばしば一番先に出勤して一番遅く帰宅することかもしれない。それは、些細なことで小言を言わず、その代わりに全体の絵を理解して見つめる視線を育てることを意味することもある。リーダーは引き受けた責任について決してこのようなやり方でのんきなことを言うのはできない。”そんなことは気にしない”なぜなら、リーダーは責任を持つ立場だからだ。しかし、賢明な責任感と独占欲を混同してはならない。 例えば’私たち’と言うべき状況でも’私’という主語を使って話すこともできる。

あなたが一緒に働く人々、特にあなたの下にいる人々は’あなたの人またはあなたのチーム’ではない。(彼らが神様を信じる人かどうかに関係なく)クリスチャンの見方で彼らを神の形をした存在とみるべきだ。そして、私たちの究極の目標は、私たちが持つ権威と影響力を極大化して結局、彼らが神様の治めに屈服する時に享受する喜びを知り、その喜びをさらに充満させることだ。

この違いを理解することで、あなたは自己防衛のリーダーになることができて、そして小さなことには反応しないことができる。批判を受ける時、独占欲が強いリーダーほど自己防衛に陥り、相手を攻撃するのが常だ。誰かが異なった意見を出す場合に独占欲が強いリーダーは、それを個人的な攻撃として受け止める。チーム員が他の所に去った時、独占欲が強いリーダーはそれを裏切りだと考える。自己中心的独占欲が強いリーダーより、リーダーへの信頼をより容易に壊すものもないのだ。

手段としての信頼

信頼は本当に効果的なリーダーシップの通話手段(currency)である。それがなければ他人を導くことはできない。

信頼が組織内の新しいリーダーに付与されることもあるが、それはほんの少しの間だけだ。究極的にはリーダーなら誰でも自分だけの信頼を構築しなければならない。信頼を築くには数年がかかるけど崩れるのはあっという間だ。

リーダーとして誰でもミスすることがある。あなたの限界と弱点をいつも認識していなければならない。そして、誰もがリーダーとして生きていれば、人々の信頼を失いかねない。しかし、良いニュースがある。我々の救世主は不完全なリーダーを通じて働くというのだ。我々の救世主に完全な者はいない。我々は倒れても救世主は決して倒れない。それは本当にいい知らせだ。[福音祈祷新聞]

“信頼は本当に効果的なリーダーシップの通話手段(currency)だ。
それなしには他人を導くことができない”

Matthew J. Hall | www.tgckorea.org

このコラムは改革主義的神学と福音中心的信仰を伝えるために2005年に米国で設立されたThe Gospel Coalition(福音連合)のコンテンツで、協約によって本紙に掲載されています。

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