胎兒であったわたしを

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子供たちが梯子を渡って行く。両手でしがみついたり、足を広げて這ったり、しゃがんで下を見下ろして! 緑、赤、青、縞模様、花柄、まだら模様まで! 子どもたちが着ている服のように表情も動きも多彩で躍動的だ。このように生き生きとして無邪気な子供たちの生命は、一体どこから来たのだろうか。この地に住む人々は肉体の母親の胎は分かるけど魂はいったいどこから来たのかその起源は分からない。ダビデは詩編で”胎兒であったわたしをあなたの 目は 見ておられた、何もない闇の真ん中で神様は私を知り、私を作られた”と告白している。それゆえ生命の創造主は神様であり、この小さな子供たちにも神様の栄光が表れるのはその方が愛と生命に満ちているからだ。この生命を堕胎することなく愛すべきではないか!

秘められたところでわたしは 造られ、深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎兒であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの 日々はあなたの書にすべて記されている。まだその 一日も 造られないうちから。(詩編139:15~16)[福音祈祷新聞]

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