“どうせ来る暁、信仰で迎えよう”

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私は暁を呼び覚ます!(2)

出エジプトしたイスラエルの民に賜物として下さった地はカナンだった。ところで、モーセを通じてイスラエルに下った命令は、カナンに住んでいる民族を尽滅せよということだった。神の裁きの戦争であった。しかし残念なことにイスラエルの民は約束の地に住んでいた原住民たちと妥協して尽滅しなかった。結局、カナンに住んでいた民族がイスラエルの脇腹を突く刺になった。

ダビデの王国が建てられた後にも異邦民族は絶え間なくイスラエルを苦しめた。ダビデは彼たちと止まない戦争をするしかなかった。“神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは我らと共に出陣してくださらないのか。”(詩編108:12)主が助けて下さらないようだった。彼の力ではとても耐えきれないと思ったその時に、彼が告白した。“どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。 神と共に我らは力を振るいます。神が敵を踏みにじってくださいます。”(詩編108:13~14)

強要された状況、視線を回して主を崇めよう。

詩編108編の背景は強要された二つの状況である。ダビデ自ら作ったり、欲を出したからぶつかった状況ではなかった。自分の望みや選択ではなくて神の召しのためであった。主に召されてから置かれた状況だった。人が立てたサウルが神に立てた王であるダビデを殺そうとしたし、カナン尽滅の命令に従わなかった結果、異邦民族が脇腹の刺みたいにダビデの王国を苦しめた。

強要された状況の中でもダビデは恐ろしさと疑いと怒りと落胆に沈没されなかった。霧の中を手探りをしているような迷いの旅を避けようともしなかった。混沌の暗黒の中で却って彼は何にも説明できないで、解決できない強要された状況を信仰で勝利した。“私は暁を呼び覚ます!”彼は主の御前で心を確かにした。目の前にある苦難と逆境は決して甘くなかった。しかし、彼は自分がそれを勝てるかどうか、超えられるかどうかは問題ではなかった。敵の大きさとか暗闇の暗さも計らなかった。却って視線を回して主を崇めて告白した。
“主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し、国々の中でほめ歌をうたいます。 あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います。 神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください。”(詩編108:3~5)

いくら大きいサウルも大きくて栄光に満ちる神の御前では埃に過ぎない存在であって、いくら深い暗闇も光であるイエスキリストの栄光は覆うことができない。空の上の空も、地の果ても神の御目と統治から抜けられる存在は一つもないから、ひたすら毎日死の危機の前に居たダビデであって、だから、驚いて、怖かったのも事実であったが、それより、もっと事実であるのが神のとこしえの慈しみと真実であった。だからこそダビデは信仰で敢えて堂々と言えたのだ!“私は暁を呼び覚ます!”

どうせ来る暁なら暗闇の中に陥れないで堂々と暁を迎え!信仰は望むことの実状である!信仰で暁を呼び覚ませ!<続く>[福音祈祷新聞]

キムヨンイ宣教師
(巡回宣教師。 LOGミッション代表)

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