神様の召しに従順、宣教地へと旅立ちました。

Date

主の召しに従順してから5年半の間ムスリム圏にて使役ししばし国内に戻って来ている、シム・シラ宣教師夫婦と出会った。幸せに満ち溢れる笑みを浮かべる彼らとの会話に仲で主に対する信頼と安息を感じる事ができた。

-宣教師としての足取りはどのように始められたのですか?

パク・バナバ(以下パク):“福音に出会ってからの始まりでした。私は慶尚南道陜川郡(キョンナムハプチョン)にある小さな町にて田舎の牧会をしておりました。しかし3年程が過ぎだんだん私の中でいろいろな限界が見えて来たのです。牧会的な部分においても本当に神様の御心を抱き使役したいと願うのですが、そうはいかず何の変化もなくただ時間だけが流れていく事が私にとって更なる渇きへと導いた気がします。そして知り合いの牧師から1週間の間行われている信仰の訓練課程があるから一緒にいこうと誘われました。なにかすごい渇きからというよりも何か新しい変化が必要だったので共に行く事にしました。”

シム・シラ(以下シム):“その訓練に行って来てからの夫のメッセージと使役はあまりにも変わったことを見受けました。そして私もそこに行きたいという心が生じました。そんな中ある年の夏ごろ、田舎の隅っこにある私達の教会に主から導かれたと言いながら突如アウトリーチのチームが訪問しました。そして話を聞いてみるとなんと主人が訓練を受けたまさにその宣教団体にて訓練を受けている人たちだったのでした。そのチームと交わりをしながらたくさんの恵みを受けました。私は母体信仰ではありませんでしたが、それなりに主との熱い出会い、経験し、主によって使役者となったものだと考えていたのですが、この人たちのようにイエス様を熱く愛している訳ではないという思いがしました。そしてすぐに訓練に志願したのであります。”

-その訓練課程を経てすぐに宣教師として献身しましたか?

パク:“いいえ。妻が戻りその後もまったくそんな事は心にもありませんでした。その後その宣教団体で行われている宣教訓練を受けたのですが、そこに参加する中でも一度も自分が宣教師になるとは夢にも思いませんでした。いつでも自分は‘見送る宣教師’だとばかり思っていました。ある日大邱(テグ)にて行われていたその訓練を終え家に帰る時に、妻が‘神様が講義を通して世界に出なさいと言われた気がしませんでしたが?と言ったのですが、‘いや。’と短い返事をしたまでです。そのような期間を1年半ほど過ごしました。本当に神様の御言葉に気づく事が出来ない者でありました。”

シム:“私の場合はあまりにもはっきりと主からの御言葉であるように聞こえました。しかし夫は‘主は私達に宣教的な存在として生きるように話したのであって、宣教師として生きるようにとは言ってないように思う’と言いました。福音の前に立たされながら、主が家庭に立ててくださった夫の権威に服従するようにと心に言われましたので、そのような夫の決定にも主の許しであると受け止めました。私は本当にこのような生き方が出来ない者でしたが、これも福音が私を変えて下さった中の一部分であります。

-宣教師になるまでにいろいろな過程があったのですね。

パク:“宣教という主題についてこのようにずっと対面しながら、実はわたしにほかならぬ恐れがあったように思います。ムスリム圏に対する恐れ、宣教使役に対する漠然とした恐れなどが実際的にさし迫って来ましたので避けたいと思いました。しかし生きておられる神様が私に言われるのあればそれを避ける事は出来ないという思いが生じましたし、御言葉の前に留まるようになりました。そして御言葉を見てお祈りをする時間を幾度と持つ中で結局は主が私の心を祈りの中で確定させて下さいました。そして‘これが神様の御心であるならば従順します。’という告白を捧げるようになりました。”

シム:“私はその期間、夫の祈りの中身が変わっていっている気がしていました。当時の夫は宣教訓練にてアウトリーチのチーム長を請け負っていたのですがチームの集まりをしながら見言葉によって祈る喜びを味わったようです。そして教会の信徒達や幼い子供達とも継続して御言葉によって祈っていました。”

ただ神様だけを信じ旅たつ

-宣教する国はどのように決まったのですか?

パク:“それ以降主の導きにより私が属していた教団の宣教団体でもう一度訓練を受けました。そこでもいまだ派遣教会も使役する国も決まっていませんでした。そしてある教団の牧師から東ヨーロッパの国家に派遣して下さるということを聞きました。そしてその国をおいて約2週間ほど御言葉によって祈ったのですが、心に平安がありませんでした。”

シム:“実際に宣教地を決める時に私達なりの基準は、宣教師が居ない地域や、福音化率が低い地域でありました。それにもかかわらず夫からその提案をお断りすると聞いた時には私も少し驚きました。私達は1年ほど宣教地を探している途中でありましたし、あまりにも良い条件であったからです。そのときに私は初めて、本当に夫は御言葉によって確定された時にのみ動くのだという事を知ったのです。そしてその翌週の月曜日に今の派遣教会から連絡が来たのですが福音化率が低い10カ国に派遣する宣教師を探しているという旨でした。そして10カ国のうちのひとつであるM国に偵察に行きましたが、現地の状況はとても劣悪でありました。その前の年に外国の宣教師がひとり殺害された事件があった国でもありました。それでも私達にはとても平安が与えられました。戻ってからも更に御言葉によって確定して下さることを経験しました。”

-宣教地へと旅たつ過程において大変な事はありましたか?

パク:“やはりどうしても私達が使役していた田舎の教会に対する心配が大きかったです。今やっと信仰が育ち始めている信徒達をおいて離れなければならないという事が重く私の心にのしかかりました。もしも宣教地へ離れる事でなかったら信徒達の心に更に傷を負わせたかも知れません。しかし宣教師として旅たつ私達のことを信徒たちは祝福してくださりとても感謝しました。結局主は、後任の牧師を送って下さり、自然な形でそこを去ることが出来ました。経済的な面においても宣教団体で受けた訓練で学んだように、信仰による財政が自然に私達の家庭の原則となりました。信仰の財政とは財政において供給して下さる方がただ神様であることを信じるということであります。とても足りない信仰の歩みでありましたが、経済面の後援を目的として何かをする事はありませんでした。ですから今でも後援が止まることもありますし、また新たな後援につながる事もありますが、全てが主の許しとして受け止めています。”

-子供達が二人いると伺っていますが、子供達は素直に受け入れましたか?

シム:“宣教地に到着した時にお世話になった宣教師が子供達が家の中で少しずつ言語を勉強するよりも学校に行くほうがはるかに良いという助言をして下さいました。それで息子は4年生、娘が2年生の終わりの頃に現地に到着したのですが、2週間ほどしてからフランス語で授業している現地の学校に通う事になりました。言葉が話せない為もう一度1年生から始める事になりました。そして子供達は言葉が通じない学校でとても苦しい時間を過ごしました。学校の状況もとても劣悪だったため申し訳ない心でいっぱいでした。”

パク:“当時の私達はみずから開拓して入ったのではなく、あるリーダーシップの宣教師のもとに行く事になっていたので実際にそこに到着してから、全てその宣教師の決定のもとに進みました。自分達の住処についても、どのような使役をするのか、また子供達をどの学校に通わせるのかなど全てが決められていました。始めは少しだけ受け入れることが難しかったのですが、そのさらなる上から統治しておられる神様に信頼することが出来るようにすぐに恵みが与えられ、全ての事において付いていくことが出来たのです。今考えてみても他のどの選択よりも正しい選択だったと思います。”

宣教師として準備されていく子供達をみて感謝

シム:“しかし子供達にはやはりどうしても申し訳ない心がありました。しかしある瞬間‘神様はこの地に私達夫婦だけ召されたのではなく、子供達をも召されたのではないのだろうか?という気がしました。考えてみると子供達のほうが私達より早く言葉を学び宣教師としての準備を幼い頃から出来るわけですよね。この年で世界に出て神様が働かれる現場を直接経験できる子供が果たしてどれ位居るだろうという気がしました。それで子供達に申し訳なかった思いではなく感謝の思いを分かち合ったのですが、子供達の中にも徐々に全ての事において主に感謝する心へと変えて下さっているのを見ています。”

-使役はどのように進んでいますか?

パク:“専任宣教師から思いもよらない体育館の使役を与えられました。この部分について妻とたくさん話し合いを持ちましたが、長期的にみて他の宣教師が来てもこの使役を受け継ぐことが出来ると考えとりあえず始める事にしました。そして専任宣教師から体育を学んでいた現地人と私の息子と共に体育館の運営する事ができました。”

シム:“実は福音を伝える事が禁止されているその地において私達が宣教師の姿で生きる事が出来ないため、主はこのような道具を用いて社会人としての服を着させて下さったという気がします。しかし全く計画にも無く、出来るとは夢にも思ってなかったので体育館にくる子供達が徐々に減っていけば自然に門を閉めればよいという考えもありました。しかし子供達が減ることなくかえって増える事になり、4年半以上続いています。驚くべき主の導きであります。”

-その子供達と福音を分かち合う機会はありますか?

パク:“子供達と直接福音を分かち合うという事は現場において非常に危険です。ですからご両親とお付き合いを続けているのですが、我々が基督教であることは大半がご存知であります。個人的に交流が続かなければ福音を分かち合う事は厳しいので、私達は持続的に関係を結んでいるある方に積極的に福音を分かちました。そして今年の1月にその方が私達から洗礼を受けるというとっても驚くべき事がおきたのです。”

シム:“その方が昨年の夏、手に怪我を負い病院でギブスをしたのですが、そこに不祥事がありギブスをはめた部分が怪死を起こしたのです。そして右手を切り落とすという大きな手術を受ける事になりました。そしてとても心が貧しい状況なりました。ある時彼を訪問し祈りをしてあげたのですが、一、二ヶ月後に私達が祈ってあげた3つの事が全て答えられたと継続して祈ってくれと言いました。そのように心が確認され、続けて御言葉によって交わりを持ち、今年の1月に洗礼をうけたのです。”

御言葉の前に立つと御言葉が解答でした。

-目覚しい事ですね。主が成されましたね。

シム:“他のなによりも現場の宣教師の方々と連合するようになさる事がとても感謝です。今でも1週間に1度、5、6の家庭が集まり御言葉によって祈り、1ヶ月に1度全世界の為にいのるネヘミヤ52祈りをしています。最初は現場に来て間もない宣教師がこのような集まりを主導することに多くの誤解を招きました。また宣教師達がひとつの場所に集まり祈る事が保安上危険であると考えられました。にもかかわらず祈りが恵みの中で継続されています。”

パク:“今ではヨセフの倉庫ミニストリーを通して、この4月に派遣された家庭と共に共同体として生活しています。時には忙しいという理由で妥協することも出来た家庭礼拝や祈りの時間が、今ではそういうわけには行かないようになりとても感謝しています。子供達にもとても有益であります。私達が韓国にいる今も現場では彼らが祈りの集まりをしてくれています。連合の力ですね。”

-信仰の歩みを共にしている多くの方々に聞かせたい言葉がありますか?

パク:“ある重要な決断を前にして常に私がする質問は‘私は神様の御前で正直か?’ということです。その後に御言葉の前に立つと御言葉が解答でありました。自分が正直で、神様を敬う事がなければ、いくら御言葉の前に立ったとしても受け取ることは出来ないからです。”

シム:“神様が私に全てを下さいましたので私から全てを受け取られる事は当然だと思います。本当に余地の多かった私の人生は、主に捧げることにとても鈍い姿でした。後になってみると、その姿こそが返って自分の魂を殺していたのでありました。信仰によって出てゆく事にためらうことがないように願います。献身ほど祝福はありませんから。”

Morepost

神様の国の復興と宣教完成