‘私たちの古物屋はイエス様にいかれた人たちだと言われています’

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神様の喜びを感謝して、主だけで十分であるユン執事

イエス・キリストの命が流れる恵み豊かなユンさんとその家庭を通して主がどんな働きをなさったのかその現場を訪ねた。<編集者>

-自己紹介をお願いします。

小さい時から勉強がよく出来て親の自慢だった弟と違って、私は才能がなくて親の関心と愛に渇いていました。それでよい行いで親を喜ばせようとしました。幼いのに大きな布団を足で踏んで洗濯したりしました。仕事から帰って来たお母さんの‘よくやったね’と褒められたかったです。いつも認められるようにと頑張りました。でも親の自慢はいつも弟でした。それで劣等感が反抗心に表れました。

そんな現実に怒っていた私は2階から飛び降りることを思っていて実際に血管を切ったこともありました。どのようにすれば親の心を悲しませて一生罪悪感を持たせるのかを悩むほど、自分を憐れんでいる悪徳な人でした。

人の評価と称賛に渇いていた子供時代

-自分を愛している中、どのようにして主を愛するようになりましたか。

結婚後夫の事業がうまくいくようになって、この世からの豊かさを楽しんでいました。しかし夫の事業がうまくいかなくて、また長男の足の成長板が死ぬなど苦難の時間を過ごすようになりました。私の心が貧しくなりました。その中弟の勧誘で出席した教会の聖徒たちを通して多くの感動をうけました。子宮がん末期のお母さんをま心をこめて仕えるのをみて驚きました。

感謝の気持ちで教会に熱心に通いました。また神様からも関心と愛を頂くためにいろんな奉仕もしました。その時に本当の福音の真理をもって生きる証人に出会いました。私もそのように生きたいと思いました。その人の紹介で一週間の福音に対しての講義と訓練過程に参加しました。

-どんな恵みをいただきましたか。

その訓練の最後の日に祈っている時、主がこの一語を浮かばせてくださいました。‘貴方は本当に愛と関心をほしいのね!’主が私の内面からこんな言葉をかけてくださいました。急におお泣きしてしまいました。親と人たちに、牧師先生と宣教師たちにどんなに認められたかったのか告白しました。そしてその心をおろす訓練をさせてくださいました。

-信仰の限界を経験しましたか。

神様はまず御言葉をくださいました。‘わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし(ヨハネの黙示録18;4)’の御言葉です。どこから出てどこへ行けという御言葉なのか。結局この御言葉はこの世から出ろという意味だと後で気付きました。

私は中古屋に座っていて暇なときにドラマを見ました。450円で170回を見られます。みると空しくて心が楽ではなかったです。しかし正確に何が問題なのか知りませんでした。それで寝る時に祈りました。‘神様、私が朝に目を開けた時何が間違っているのかを教えてください。’次の日目を開けると‘二つの心’という単語が急に浮かびました。

ドラマを見ることが問題ではなくて、男女の主人公たちに心を奪われた自分のこころが‘姦淫のもの’と気付きました。とても怖くて足が震えました。しかし神様の叱責は愛からのものだと気付かせてくださいました。そして神様は私が愛しているものを叱責すると御言葉を通してみせてくださいました。

-私たちの体と心をもっと清めてくださる神様ですね。

そんな経験もありました。御恵みを経験しながらも私がのぞまないことを要求しますので、不従順の気持ちと教会の役人さんたちに対抗したい気持ちもありました。主はかしらであり、私は足の指なのに頭の一番近くにいたい高慢な心でした。主は後で一人になった時に‘貴方は誰をみあげているの?いま私だけを見上げなさい’とおっしゃいました。

神様から離れて罪の中に住んでいたことをもう一度気付くようにしてくださいました。それで十字架の福音を信じてどんな存在に変えられたのかを夫に言う時間がありました。主なしで自分が王になって生きていて犯した罪を正直に言ったら、夫の顔色が段々黒くなりました。よく愛していると言っていた夫の言葉を信じてなかった私でしたが、夫の愛が本当に信じられました。愛されたくて執着していた私でしたが、神様の愛の前でも同じく反応していたことに気付きました。私に向けての神様の愛が信じられて救われていることがただ信じられました。御恵みでした。

-恵みでしたね。

その時から訳の分からない喜びが溢れました。道路にいる人たちはみんな前に進むのに私は後ろへいく感じでした。この世と分離されたような気がしました。中古屋に出勤をして朝9時に祈って御言葉を黙想しました。この時間がとても幸せで、毎日何の御言葉が与えられるかと期待していました。主の御言葉に従うようになって主がもっと分かるようになりました。御言葉が私に語りかけることを経験しました。

神様の愛が信じられて

-そんな喜びと信仰の人生をどのように続けていますか。

今年の初めに私に一つの御言葉をくださいました。私はもう子供ではなくて、大人になって主とともにご飯を食べながら食卓で交わる関係だということです。経験は大変でしたが、過ぎてみるとこれが苦難のようで、全部が恵みでした。こんな過程を通してこれからも苦難が訪れても主が共にいることを信じるようになりました。いまもイエスだけが残って、私と主だけで十分だと告白しています。

-ご家族にもこの恵みを分かち合っていますか。

以前には子供たちがちゃんと生きるためにと怒ったりしました。子供たちたちに執着していて、ちゃんと生きて行かないと地獄に落ちると言っていました。子供たちのために祈っていた時に‘お家が宣教地’であることを気付かせてくださいました。ある日神様が子供たちの回復を信じるのかと私に聞きました。私は信じられないと答えました。しかし神様はもうすでに回復していると言いました。

子供たちはいま小屋に入っていない羊(ヨハネの福音書10;16)だと言いました。彼らも共にしていると言ってくださいました。そのみ言葉が信じられました。その時から主だけをみるようになりました。

-近隣の人たちと過去に交わっていた知人たちとも福音を分かち合っていますか。

夫が仕事をしている現場にいくと、大体の人たちは疲れて死にそうだと悪口を言います。しかし夫は習慣で‘ありがとうございます’と‘ハレルヤ’を言っているので、それを人たちが聞きます。‘貴方は以前私が知っていた人ではないですね’との反応をして、その方も教会に通い始めました。そしてイエス様を信じて変わった私のお父さんを見て、村の人たちが6人も教会に来るようになりました。

 ‘中古屋の人たちはイエス様にいかれたひとたちだ’とうわさされました。私はどうしても主に従おうとしただけなのに、他の人たちの反応と口を通して共にいてくださることを見せてくださいます。私が何かをやろうとするのではなく、主に注目して毎日御言葉に従うだけです。一番幸せなのは主が私と共にいることが信じられることです。

-そのようにして自然と伝道しているんですね。

私が主に出会って福音が宣布されて教会がとても豊かになりました。しかし主は教会を割りました。私も聖徒たちも信仰を持って主の導きによって各地域で教会を開拓しました。私たちもこの地域でいる聖徒たちと集まりました。いまは少し増えて12人が共に礼拝をささげています。この教会で聖徒たちと共に恵みをいただいています。

re_127_5_1 interview2聖徒たちと礼拝している姿

あなたが持っている幸せを私も持ちたいです

-分かち合いたい恵みをもう一つ聞かせてください。

仲介祈祷学校の訓練中にk国へアウットリーチに行く前に出血が始まりました。私のお母さんも子宮がんで亡くなって私も子宮腺腫でした。それに夫は出発二日前に胃がんの診断をうけました。主は‘私だけに従いなさい’と言ってくださいました。死んでも主に委ねることを決めました。

主の側に立ってあふれ出る喜びを感じました。飛行機が離陸するとすぐ出血は止まりました。韓国へ帰ると夫からガンがなくなったと言われました。主は私の従順を喜んでくださったのです。神様が王であり、私は神様のみ心を知って交わるお友たちになって帰って来ました。

-最後に祈祷課題は何ですか。

このころ一緒に信仰を分かち合っている人がこのように言いました。‘私はこの世の豊かさを持っているよ。貴方の中には主がいると言っているが、あんたがもっている幸せを私も感じたい’と。私はこのお友たちと交わって分かち合っただけなのに、彼らは私たちの中にいる主を見て求めるようになりました。教会に一緒に行こうとは誘ってないのにですよ。

散られた主の教会を通して御言葉が成り遂げることを祈っています。主はこの栄光を私にも見せてくださると約束してくださいました。一人の魂が主に帰ってくると、主は天国でどんなに喜んでいらっしゃるのか、その喜びを私も感じました。私が持っているこの幸せをその友たちも持ちたいと言っています。この喜びはこの世の物とは違ってとてもうれしいです。私のこの喜びを皆と分かちあいたいです。[GNPNEWS]

S.A.

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