“私もその主を信じたいが、どのようにすればいい?”

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サケの夢’(4)

1994年金日成の死後、苦難の行進が宣布されて北朝鮮は配給が断たれた。家庭解体と距離を彷徨うコッジェビ青少年たちの行列が続いた。そのように家族を失ったある一人の北朝鮮の青少年が脱北して主に出会い、いまは北朝鮮の福音化を夢見ている。その内容を載せている‘サケの夢’を要約、連載している。<편집자>

チョンドにある建物の屋上の部屋。窓もなく光も入ってこないところで、私たちは韓国の宣教師から聖書と英語を学んだ。

お金持ちとナザロの話を通して北朝鮮の人たちを思った。飢えて死ぬよりも神様を知らないまま死んでいくことがもっとかわいそうだった。

北朝鮮のために祈る時、神様は愛の心をくださった。その時‘北朝鮮に福音を伝えろ’という主の命令に静かな喜びと感動が溢れた。

引き止めていた宣教師がついにゆるしてくれて、お友たちヨハン君と3年ぶりに故郷を訪れた。‘強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、貴方の神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない(ヨシュア記1:9)’神様は御言葉で励ましてくださった。

ヅマン川を渡ったらすぐ北朝鮮の軍人に捕まえた。‘主よ、勝てる信仰をください’私たちのために祈ってくれた共同体の家族たちが見えた。罰せられている途中で蹴られて、軍人たちのベッドの下へ入り込んで寝て、犬が食べていた器に入れたご飯を食べた。

寒くて体全体が震えた。祈った。‘主よ、雲を開けて一度だけでも光を見せてください’不思議にも私が立っていた所だけ雲が開いて太陽が光った。主が私と共にいてくださった。

拷問を受けた後朝になると集結所がムサンへ移動した。しかしなぜか到着するとすぐ保安員が私たちの文書をなくして自由にしてくれた。‘私の子供のようで出してあげる’主が心を動かしてくださったに違いない。

素足で、頭をぶったれて血まみれになったまま市場に行った。人たちの視線が私に向けた。あるお婆さんが親戚だといって保護してくれた。妓生ラハブの家に入ったまわし者のようにそのお家で何日間とどまった。

神様を伝えるとお婆さんは外へ出た。保安員を連れてくるのかと恐れた。後で帰って来たお婆さんは言った。‘私もその神様を信じたいが、どのようにすればいい?私は罪を多く犯したよ。’門を閉めて共にひざまずいてお祈りを捧げた。

お祈りの前で、心配ごとがいっぱいだったお婆さんの顔が楽になった。別れる時さびしくて泣いたが、信仰で笑っている顔をみて神様の愛を感じた。

福音を伝えるために再び北朝鮮へ

ヨハン君がお家に帰った時、党員であるお父さんはキリスト教を勉強したとの話を聞いて、刃物をもってきては保衛部へ自首するようにと言った。ヨハン君と別れてこれが最後になるかもしれないと思い、涙を流した。

一人で村が一目で見える山の上で祈って賛美した。‘聖霊様よ、彼らの目を開いて世の光の照らしてください!’主がくださる心は彼らに向けての憐れみだった。

再び中国へ行く道は険しかった。身分証、旅行証明書がない私は死を覚悟して何度も祈った。チョンドに戻ると二度と会えないだろうと思っていたヨハン君が来ていた。全てが奇跡のようだった。

神様は苦難を通して信仰を強くしてくださった。2003年3月全世界的にサス(重症急性呼吸器症候群)が流行り始めた。いろんなところで聖書を勉強していた私たちは避難所へ集結した。あるお家で20人ほど隠れていても、ひとがいないように見せないといけなかった。

ある日狭くて重苦しかったのか、一緒に住んでいた人たちが出ていてから帰ってこなかった。私たちはそのお家を出て避難した。その時戻れないと知っていたならば、お母さんと一緒に撮った写真を持ってこればよかった。

3日後に警察に捕まえて中国のチョンド刑務所へ10人が入れられた。宣教師は韓国へ避難して、朝鮮族伝道師と執事たちは公安に捕まえて拷問をうけた。

3カ月間中国の刑務所でいて北送のため、ダンドンへ移送された。手と足に鎖がかけられた。監視カメラがあってすこしでも動くと電気棒で叩かれた。

一週間をすごして2003年9月11日北朝鮮のシニジュへ送られた。そのようにしてつらい北朝鮮の刑務所での生活は2005年2月まで続いた。[GNPNEWS]

ガン・テモテ

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