“例え‘いじめ’られても神様を諦めることはできない”

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昼休み!職員との食事時間は色々と談笑を交わす楽しい時間です。 しかし、その時間に私は一人ぼっちです。

会社で一緒に食事するグループは退社した後、また仲間同士で集まってゲームを楽しみます。 会社の社員や管理者は皆で楽しくゲームをします。 そしてお昼休みの話題というと前日のゲームの話などで盛り上がったりします。

最近、家でゲームを楽しむことのできない自分としては話す言葉が思いつかないです。 話を聞いても何も分かりませんでした。そんな自分は話に交ぜることができないため、黙々とご飯を食べるだけです。このような自分の態度は組織生活において決して良くないことについてはよく知っています。それでもほろ苦かったり、寂しかったりしません。なぜなら私はイエス様ともっと楽しい話をしているからです。

しかし、私もゲームが好きでゲームをしたいです。 しかしゲームをすると、神様のために使う時間と変えなければなりません。そして‘私の心を奪う世の中のものら’のリストに項目を追加しねばなりません。何より虚しい話で時間を費やすことは決していいようには見えません。

 いっそその時間に私たちのイエス様について話したいです。時々食事時間に神様について話をしてみましたが、彼らの話に交ぜることができなかった自分ですが、彼らも私の話に交ぜることはできませんでした。

それだけではなく拒否反応まで起きました。虚しく、ただ笑顔で笑うだけです。

世の中で、特に平凡な職場の組織生活の中でクリスチャンは仲間はずれになってしまうことについてもう一度実感します。

最初は飲み会で、さらに深く入ろうとすれば職場のすべての場所で世の中の仮面をかぶって彼らに合わせていけばクリスチャンたちももっと楽しい、そして素敵な職場生活を送れます。事実、そのように生きていくクリスチャンたちは多いです。彼らは生きていくためには止むを得ないと言っています。

私も他の人々とあまり変わらないため、十分それが理解できます。 しかし、世の中の仮面を長くかぶっていると、知らぬ間その仮面をかぶった人になってしまいます。つまりその仮面が自分の顔になってしまいます。仮面を外した時には人々から冷たい視線を受けることや異質感を恐れてはいけません。神様が足りないすべてを満たしてくださるという信仰で大胆さを持って仮面を捨てる時‘主の中で自由を味わう’ことができます。

私たちは単に彼らと趣味が異なる訳ではありません。 ただ彼らと宗教的信念が異なるという訳でもないです。私たちは彼らと本質が違うのです。 私たちは光の子です。いじめられても落胆しないで私たちの信実な信仰と行いで闇を照らす時、世の中の人々はその光に向かって目を向けるでしょう。

イ・ドンジュン(ソンハンモクシャ教会)

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