教会の礎、永遠の盤石イエス·キリスト!

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神様の約束と誓い(2)

「礎が崩れてしまっては正しき者に何ができよう。」(詩11:3)自分の人生を支えていると思われる「礎」はどんなものか。もし自分の人生で最も重要だと思う健康、お金を失ったり、頼った人に裏切られたら終わりだ。 ところが、すべてが揺れる日、礎が崩れれば何をするのかという質問に、詩編記者はこのように話す。 「私は私の避難所となった神様のところに駆けつける。」アーメン。 教会は果たしてどこに立っているのか。世間の世論や思想、哲学、教権に立っていて、これが崩れて揺れる日、丸ごと滅びるだろうか。それはできない。

神様は教会をそのような場所に建てたことがない。教会の礎は永遠の盤石であるイエス·キリストである。ハレルヤ! イエス·キリスト以外には、教会の礎にはなれない。神様が夢見る教会は建物や組織ではなく、神様の呼ばれた群れ、すなわちイエス·キリストの十字架を通じて神様の聖なる子供に生まれ変わった神様の民たちだ。

「このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。」(コロサイの信徒への手紙 1:28)

神様が夢見るビジョンの終わりは、一人、一人を神様の形状、すなわち完全なキリストの内に完全な者として立てることだ。韓国教会の聖徒たちは、果たしてこのお呼びの目標にふさわしい暮らしをしているのか、よく見なければならない。

教会の建物がどんなに華やかか、組織がよくできているか、水準が高く生活するかは教会を計る基準にはなりえない。教会はキリストを頭にした、キリストの体になった生命力のある有機的共同体だ。キリストの生命力が各肢体に流れ、すべての肢体の内にイエスの生命で充満して育ち、キリスト の 滿ち 滿ちた 身たけにまで 達するまで、キリストの中に完全な者として一人一人が建てられること、それが教会を呼んだ神様のお呼びだ。真に生きている信仰で新しい被造物になった聖徒で構成された神聖な教会が、主が夢見る教会の姿だ。世の中に勝って罪悪に勝って最後に勝利する神様の神聖な教会がまさに私たちに向けた神様のお呼びの結論だ。

この罪の奴隷で生きて地獄に向かうしかない存在的罪人である私たちが、どうして神様の息子の形象を着てキリストの中に充満した生命を持った神様の神聖な教会になれるだろうか?これは出発自体がイエス·キリストであり、目標も神様水準であるため、人間のいかなる努力や方法ではなれないと聖書は何度も言う。武力によらず、權力によらず、ただわが霊によってとゼカリヤ書4章6節で言う。

では、誰が救いを得ることができるのか?優れた人だった金持ちの官僚が永生を悩んでイエス様の前に来た時、神様の要求は他ではなかった。虚しい財物に従いながら律法を守り、涙ぐましく最善を尽くしても、中心が変わらなければ神の国の永生は見ることもできないとおっしゃった。神様はお金なのか永生なのかあなたの心に住所を決めるようにとおっしゃった。ところが、自分の思い通りに一番できないのが自分自身の心だ。 許すべきだと分かっていながらも許せない。だから、自分の人生が絶対に自分のものではないという決定的な証拠は、自分の心さえ思い通りにできないということだ。だから私の人生は私のものではない。 (2018年9月)<続き> [福音祈祷新聞]

キム·ヨンイ(巡回宣教師、LOGミッション代表)

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