ただ信仰の人、アブラハム!

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ただ!絶対! みんなの福音!(8)

聖書が注目する人々がいる。 アブラハムとダビデ、新約ではパウロだ。

まず、信仰の先祖として知られているアブラハム。彼の信仰はただの信仰ではなかった。「ただ信じる」だった。彼の生涯は信仰を抜きにしては説明できない。聖書はアブラハムの生涯を絶えずに追跡しながら彼の信仰に注目している。

聖書は旧約の結論であるハバクク書2章4節の言葉で結論を宣布している。 「神に従う人は信仰によって生きる」ロ―マ人への手紙で1章17節でもその偉大な宣言を宣布する。

「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる 」と書いてあるとおりです」ただ良い信仰、熱心に信じる信仰ではなく「信仰によって生きる」を、「絶対信仰」を言っているのだ。

アブラハムが信仰の先祖だと言われる時、神は彼に信仰はどのようになければならないのかを話された。神様は一人の人生を通じてただ信仰を啓示してくださる。

これは教義的に、神学的に同意するレベルではない。「私はそれを信じます。ただ信仰です」と告白するレベルで終わるのではない。神様はアブラハムの生涯全体を主が使われて、ただ信仰という言葉が何を意味するのか混沌しないように啓示してくださった。

なぜなら、ただ信仰であってこそ、私たちが義とされて、そうしてこそ救いを得るからだ。私たちが失った「ただ、絶対、全部」が実際になるように生きて居られる神様に会うことが起きなければならない! ハレルヤ!

ローマの信徒への手紙第4章で、ただ信仰だったアブラハムの信仰について見てみよう。

「では、私たちがアブラハムを肉による先祖としていることについては、何と言うべきでしょう。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」とあります。」(ローマの信徒への手紙4:1~3)

アブラハムが義と認められたすべての根拠は、彼の行為や彼自身になかった。徹底的に信仰によって神様の前に義とされた。彼が信じた信仰は神様が見るにはどんな信仰だったのだろうか?

「「私はあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死者を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのです。彼は、望みえないのに望みを抱いて信じ、その結果、多くの国民の父となりました。「あなたの子孫はこのようになる」と言われているとおりです。およそ百歳となって、自分の体がすでに死んだも同然であり、サラの胎も死んでいることを知りながらも、その信仰は弱まりませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことをせず、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと確信していたのです。だからまた、「それが彼の義と認められた」のです。」(ローマの信徒への手紙4:17~22)

それはただ信仰だった。生きていらっしゃる神様を聖書が言った創造の主であり、全能の主よ、永遠の主として、完全に神様を神様と信じたということだ。 ひたすら信仰でだ。アーメン。(2018年8月)<つづき> [福音祈祷新聞]

キム·ヨンウィ

(巡回宣教師、LOGミッション代表)

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