絶対!全部!。。。 「自分」? 「神様」?

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ただ!絶対! 全部である福音!(4)

聖書の中に登場する数多くの人生の中で最高の栄誉と機会が与えられて華麗な出発で始まり注目を集めたが、残念ながら悲劇的な終末を迎えた人がいる。そんな人物として真っ先に士師時代の真ん中で、ペリシテ全体を一人で相手にしながら、神の国の威厳を表わした。その次はイスラエル建国の初代王になったサウルだ。神様の召されでこれ以上言うことのない最高の栄誉と機会が与えられた人だ。3番目の人はイエスの12人の弟子の一人だったイスカリオテのユダだ。人類史上唯一無二の神様でありながら人の体を着てこられ、道と真理と生命になって言葉が肉体になってこの地にこられたイエス·キリスト。その方の選択で12弟子と召されたのだ。

救国の英雄、士師サムソン、イスラエルの初代王サウル、イエスの12人の弟子だったイスカリオテのユダ。この人たちには共通点がある。彼らに臨んだ天の呼び掛けで神様が介入して神様の声を聞いて体験をした人々だ。そしてもう一つの共通点がある。それは彼らを呼んだ神様が彼らの人生の「全て」になれなかったことだった。彼らの人生の「絶対」にはなれなかった。彼らの人生の「すべて」ではなかった。神様が彼らの人生に「全て」にならなかったし、「絶対」にならなかったという話は普遍的で幅広い人ということではない。だまされてはいけない。彼らは滅びるまで、悲惨な終末を迎えるまで、別の「絶対」があり、「すべて」があった。それは神様ではなく、まさに自分だった。 「私私私!」「私」が全てだった。”病んだ自我”というこの怪物。人類の歴史の中で最も選ばれて選ばれて選ばれて特別な機会とすべての条件とすべての機会が与えられた華麗な出発と役割を与えられたけど彼らの結論はただ「私、自分」だったのだ。

サウルは思いもよらなかったイスラエル初代王として立てられ権力に座った後、その権力の魅力がどれほど大きいかを経験する。イスラエル初代王という権力を一度味わって、つい全部にならなければならない神様に差し上げる暇もなく自分に与えられた権力に深く耽溺して結局王の座を逃さないようにあくせくして失敗した。滅びるには特別なことは必要なかった。王の権力に執着した彼は、多くの神様の警告と悔い改めの機会の前でも怪物のように病んだ自我の罠から抜け出したくもなく、抜け出さなかった。神様に捨てられることがあっても決してあきらめない絶対全て。このエネルギーは誰も揺さぶることができないほどサウルに全てだった。

凄まじい救国の英雄だったサムソン。彼が倒れるのには他に必要なのはなかった。完璧な肉体の条件の中に与えられていた自我の貪欲、すなわち性欲に自分のすべてをかけた。神様の能力をそんなに経験しながらも決して離れない自我のための「追求」があっただけだ。(2018年8月) <続き> [福音祈祷新聞]

キム·ヨンの宣教師
巡回宣教師。 LOGミッション代表)

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